作品解説

「人間という大きなアイデンティティのなかに、ジャーナリストというアイデンティティが包まれている。だから目の前に溺れている人がいれば、カメラを置いて助けるべきなんです」

フォトジャーナリスト広河隆一の哲学は、言葉こそ明快だが厳しい。それゆえ、それを実践する自分自身に烈しい生き方を求めずにはいなかった――。その取材の歴史は1967年、イスラエル・パレスチナに始まる。82年、イスラエル軍に包囲されたレバノンのパレスチナ難民キャンプで起きた虐殺事件を撮影、その映像が証拠として世界に配信された。チェルノブイリ事故後の89年には、西側のジャーナリストとして初めて事故によって立入禁止になった地区を取材し、隠された放射能汚染を告発した。人間の尊厳が奪われている場所を、広河は「人間の戦場」と呼ぶ。

活動は取材だけにとどまらない。「パレスチナの子どもの里親運動」「チェルノブイリ子ども基金」を立ち上げ、被害を受けた子どもたちの救援活動に奔走する。2011年の福島原発事故後には、子どもたちの健康回復のため、沖縄県久米島に保養センター「球美(くみ)の里」を設立した。そして2014年、広河は10年間務めてきた報道写真誌「DAYS JAPAN」編集長を退任した。それは残された時間を現場取材に献げるための決断だった――。

監督は『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』で「キネマ旬報ベスト・テン文化映画第1位」「毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞」などを受賞した長谷川三郎。撮影はドキュメンタリーカメラマンの第一人者であり、是枝裕和監督や河瀨直美監督作品も手掛ける山崎裕。パレスチナ、チェルノブイリ、福島から沖縄・久米島へ。広河隆一の原点を見つめ、現在の活動に密着する。


広河隆一と主な救援活動

「パレスチナの子どもの里親運動」

パレスチナ難民キャンプ子どもたちの支援運動として1984年に設立。広河は設立時に代表を、現在は顧問を務める。親を亡くした子どもたちの生活費や教育費を出す活動を始め、幼稚園や職業訓練センター、両親を失った子の寄宿舎などが入った「子どもの家」をレバノンの7か所の難民キャンプで、建設・改修をおこなった。


「チェルノブイリ子ども基金」

病気の子どもをもつ母親たちの呼びかけを受け、1991年に設立し、チェルノブイリ事故後の子どもたちの救援を始めた。ベラルーシやウクライナの病院に日本から医療機器・医薬品を送り、子どもたちの保養施設「ナデジダ」(ベラルーシ)、「ユージャンカ」(ウクライナ)の建設や運営を支援してきた。現在広河は代表を退いている。「ナデジダ」ではこれまでに7万人の子どもが保養している。


「沖縄・球美(くみ)の里」

福島原発事故で被曝したか、あるいは現在も汚染された地域に暮らす子どもたちの健康維持と回復のため、日本で最初の保養センターとして2012年7月に沖縄県久米島に設立。2015年9月までに子ども1708人、保護者450人を受け入れる。2015年秋に広河は理事長を退任した。現在名誉理事長。